Al Faisal

Cigue2009-02-18

久し振りに星が見える夜空を見ました。


長袖のシャツ一枚でも少し肌寒く感じる街を歩きながら
Al Faisal Tower の麓へと延びていく光の道筋を背に
目当てのレストランへ仲間4人で向かいました。



学生達の試験期間が終わり、
週末の夜(イスラム暦なので木・金休み)を楽しむ若者達で街はなんだか浮き足立ち、
短い春の夜を楽しむ為の、大勢の人達とすれ違いました。




色々な外国と違和感を感じるのは、車の運転の仕方。


フランスやイタリアの人達は、
自己主張をする為に、道を譲らなかったり
自分の道を邪魔されたくない為か、歩行者に大きい顔をしたりと
基本的にのんびりしている性格の人も、ハンドルを持つと人が変わるような気がします。


しかし、この国の人達は、豊富で廉価なガソリンのおかげで
むやみにスキッド音を鳴らせたり、ヘアピンUターンを見せびらかしたり
お祈りの合図の歌が放送された後は、
遅れない為か取り敢えずモスクの駐車場まではクラクションを鳴らしっぱなしで急いだりと、
土地柄、文化から生まれた乱暴な運転が目立ちます。


信号待ちで暫く待った後、右折をする車の様子を見ながら
「Go!Go!Go!Go!Go!」と、まるで戦争映画のワンシーンのように
道路を低い姿勢で駆け抜ける様は、傍から観ていて滑稽に見えたのかもしれません。




夕飯を食べた後のホテルへ向かう帰路で、
今夜の飛行機に乗り、香港へ帰る同僚と話をしながら
「星が見える夜なんて久し振りだな」と言いながら、
「今度、是非香港に来てよ。飲茶の美味しい店に連れてくから!」と約束してくれました。



オリオン座の星の数を数え、北半球だから見える星なんて変わらないかと思いつつ、
たった五日間しか仕事をしていない同僚と、同じ会社なのに次にいつ遭えるかわからない約束をし
密度の濃い仕事を共にした仲間との別れを愁い、余計に帰り道が肌寒く感じました。

Kingdom Tower

Cigue2009-02-14

思い馳せる地平線と、荒野。
夕日を背に愁う心と、砂漠。



そんな幻想を抱き、オアシスを思い浮かべる空港に降り立ち、
地下駐車場から、真夜中の整備された一本道を市街へと突き進み
ホテルへ到着したのが、我が家を出発してから26時間後、
予想通りの煌びやかさと、儚さを併せ持つ都市、が、リヤドの第一印象でした。




「明日からひどい砂嵐で外がまったく見えなくなるらしいから、
今日中に見ておきましょうか。」


と、現地の人に言われ、オフィスの最上階へ上った景色も、
例えば、
平安京のような質実さを持ち、
パリのような優雅さを持ち、
フランクフルトのような二面性を持つ、
そんな奇異さを与えてくれました。



ひどい渋滞を見て、いつもこんななのだろうかと不思議に思っていたら、
「7時からのお祈りに間に合うために、みんな帰路に急いでいて、
信号のタイミングが昼間より早くなるのも手伝って、
こんな状態になってしまうんですよ。」
と説明を受けました。




まるで、ソドムからの脱出を思い浮かばせるような、
敬虔なる信仰の為の危機感のような物を、その風景から感じました。

Une Dame

Cigue2007-09-03

いつも、突然に掛かってくる電話に、
「いつもの、酔った帰りの行動だな?」
とたかをくくっていると
「ちゃんと聞いてるの?」と怒られるので、
心して聞くようにしている、友人からの電話があります。





「国際電話だから高いのだろうに、、」
と思っていても、
全く、意に介せず話し続ける友人は、
「コミュニケーションを取れる数は、あなたの財産なのよ?!」
と言って、悪びれる様子も無く今日までの出来事を話し始めます。



独立記念日とか、革命記念日とかで、
エッフェル塔から花火が噴出していく様は、
まるで、Vesuvio の噴火のように
パリの街を全て溶かしてしまうかのような勢いで
全ての人を魅了していたようです。



「私、好きな人が出来たの。。。」
と、本気だか冗談だかわからぬ彼女のセリフが僕を少しドキッとさせ、
「日本だったら、あの後コンビニで花火も買えたのにね、、、」
なんて、ちょっと寂しがっている一面も見せながら
新しい彼とのことを話していました。






うまくいって、
自慢話でも聞かせてくれればなと。




蔭ながら、応援しています。

待合室

Cigue2006-10-23

小さい頃から、
病院と美容院は嫌いです。


駄洒落ではなく、
あの空間に、なんとなく嫌悪感を抱いてしまいます。


今日は、母親の紹介状を取りに検査をしてくれた病院へ行きました。


家族の中では、NEETの身分の僕は使いっ走りなのですが、
意外と重宝されています。


検査をしてくれた先生は、新米なのか
「転先の病院は自分で調べてください」と、投げやりな感じです。


色々調べた挙句、近場で一番いい病院を見付けました。
まあ、母親も薬剤師なので色々な評判なども耳にしているのでしょう。


夕飯時に、親父に
「今日もありがとうな。」
と言われました。





最近、夜に寝れない母親と、
夜も、寝ないでいる息子と、
毎日、頑張っている父親とで、
自分も何かをやらなくてはと思いました。

眺めのいい風景

Cigue2006-10-10

「東京タワー」という、
リリー氏が書いた本に涙した記憶があります。


その記憶と並行するかのように、
お袋の病床の記憶があります。





お袋は乳癌でした。


永く、生きようとする気持ちを前に出す人で、
パワーを持っていた人でした。


そんな彼女が、日に日に弱っていく姿を見ながら
「僕は何ができるのだろうか」と、無力感だけを日々感じていました。


結局、何もできぬまま逝ってしまった彼女。


何も恩返しをできぬまま、
焼いた後の骨もほとんど残らぬまま死んでしまった彼女。


僕に、何もさせてくれぬまま、細くなっていってしまった彼女。


「あれ?あなた、誰だっけ?」
と、面会の時に抱きしめる僕を疎ましがる彼女。


そんな母親を、
「早く死んでしまったほうがいい」と、蔭ながらに思っていました。
また、
「何にも恩返しをしていないよ。。。」と、悔いを抱えていました。




また・・・


同じ気持ちを抱えています。


親父が再婚した今の母親が肺がんにかかってしまい、
余命が何ヶ月かと言う状態のようです。


21歳下の弟は、その事を知りません。


自分は、何をすればいいのか?
答えを出す資格もありません。